翌日、清水寺で再会した二人は互いに激しく打ち合ったのですが、またも弁慶は破れ、義経の不思議な技に戦うことをあきらめ、その後は主従を誓い、生涯義経を守ったのです。
童話に「京の五条の橋の上、牛若丸と弁慶は…」とありますが、この橋は現在の鴨川の五条大橋出はなく、当時五條天神の東側に美しく流れていた西洞院川にかかっていた橋のことなのです。また、五條天神東側の通りは松原通りですが、かつては五条大路と呼ばれ清水寺につづく参詣道でした。
京の都の真ん中にあった広大な森は、保元の乱、応仁の乱、蛤御門の変、鳥羽伏見の戦いなどの洛中の兵火で焼失し、五條天神本殿も焼失し再建が繰り返され、境内は明治以後、現在の区画に整理されました。
五條天神社伝より
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