天使突抜
Kyoto Infomation

天使突抜地名の由来
 
京都の中心で松原通りと西同院通りの角に「五條天神社」という神社があり、その社伝によると桓武天皇が京都に都を遷都されたとき、空海に命じて都の平安を守るために大和の国宇陀郡から天神を迎えて「天使の宮」として建立され後鳥羽天皇の時代に「五条天神宮」と改称したそうです。
 当時、洛中では最も古く最大の鎮守の森を有する神社で、その広大な森を南北に「天使の宮」まで森を突き抜けるように細い参詣道があったことから「天使突抜」と名前がつくようになったそうです。

一部五條天神社(天使社)由来略記より
五條天神

五條天神にまつわる牛若丸と弁慶の話
牛若丸と弁慶の物語について、五條天神には再々の兵火などによる消失によって資料はありませんが、義経一代記を書いた室町時代の「義経記」などによって伝承されております。
それによりますと、牛若丸は長じて源九朗義経と名乗り、奥州より再び京都に舞い戻ります。
当時、陰陽師の鬼一法眼が六韜(りくとう)という兵法書を秘蔵していることが義経の耳に入り手に入れたいと思うのです。六韜(りくとう)には、八尺の壁に登って天に昇る力を会得する方法が書かれていました。
義経は法眼の娘を通して兵法の書き写しに成功したのですが法眼の怒りにふれ、この五條天神に誘い出されたのです。義経は信奉する天神に勝利を祈願し、相手の湛海坊を討ち取ります。
弁慶と牛若丸
一方、弁慶も比叡山の師僧から見放され、この京の町で太刀千本取りを願って五條天神に詣でた夜、五條天神の森の椋の木の下で、弁慶は妙なる笛の音と共に現れた義経と初めて出会うのです。義経が持つ立派な太刀を奪おうと勝負を挑んだのですが、義経の六韜(りくとう)の技に目的を果たせず引き上げます。

翌日、清水寺で再会した二人は互いに激しく打ち合ったのですが、またも弁慶は破れ、義経の不思議な技に戦うことをあきらめ、その後は主従を誓い、生涯義経を守ったのです。
童話に「京の五条の橋の上、牛若丸と弁慶は…」とありますが、この橋は現在の鴨川の五条大橋出はなく、当時五條天神の東側に美しく流れていた西洞院川にかかっていた橋のことなのです。また、五條天神東側の通りは松原通りですが、かつては五条大路と呼ばれ清水寺につづく参詣道でした。
京の都の真ん中にあった広大な森は、保元の乱、応仁の乱、蛤御門の変、鳥羽伏見の戦いなどの洛中の兵火で焼失し、五條天神本殿も焼失し再建が繰り返され、境内は明治以後、現在の区画に整理されました。

五條天神社伝より



■ご利用案内
■ご予約方法
■施設紹介
■京の歳時記
■天使突抜の由来
■京都見所マップ
■アクセスマップ
Copyright© 2006 kyo-machiya tenshi-tukinuke All Right Reserved.